月曜日, 9月 04, 2006

Sc3;Cs5


金曜日の夜から先程まで、
延々とSuperCollider3とCsound5を触っていました。
その結果なにが分かったかと言うと、
「音声信号処理言語にはそれぞれはっきりとした哲学があるんだな。」
という言わばあったり前の事でした。
これに以前から使っているMax/Msp4.5を加えて見ると
尚更にはっきりとそれぞれの哲学が浮き上がります。

Csoundは時間軸上にイベントを並べるScoreというスキームを用いており、
これがイベント(トリガー)とシグナルプロセッシングを明確に分割します。
この為再帰的プログラミングは行い難いが、
時間軸上に発音をコントロールしやすい。

他方SuperColliderはSmallTalkに類似しており
信号処理のオブジェクトが一次元で相互干渉しあうフラットな構造をしている。
この為イベント、プロセッシングという区分が存在せず
再帰的なプログラミングにより
信号処理の自律系を作成する事が非常にやりやすい。

最後にMax/Mspはというと、
これまたSallTalkと非常に似通っています。
しかし、SuperColliderとMax/MspはUI及び操作方法に違いがあり
パッチ結線によってオブジェクト間のI/Oを記述するという
Max/Mspの方法は、
マルチスレッド処理や処理の抽象化において制限があるものの
その直感的なプログラミングはプログラミング活動を行う
私のバランスを変えてくれるという素晴らしさがある。

コーディングも習熟すると特にコーディング行為を意識せず
作成(作曲)を行う事ができるようになるのだろうけれど、
その時にも、操作方法、UIは行為を強く特徴付けるだろうと考えてしまう。
身体はアヴェイラビリティの高低にのみガイドされ、
精神はアクセサビリティの高低にのみガイドされ、
低きから高きへ。
かつて荘子は「高きから低きへ水のように」と言っていたが、
海から這い上がったモノの子孫として、
自ら太道を遡るのだろうか。

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